3.Lux Pacifica2002・New Delhi大会報告 |
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第4回環太平洋照明会議「ルクスパシフィカ2002ニューデリー大会(Lux Pacifica2002・New Delhi)」の概要を以下に報告する. 今大会会場となった国際会議場「ヴィギャン・バーワン(Vigyan Bhavan)」は,1995年に開催されたCIE・インド大会でもその会場として使用されており,最新の機器設備が備わった国際会議場である. ただし,会場入り口における必要以上に厳しいセキュリティーチェックには閉口せざるを得なかった.金属探知機とボディーチェックの後,会議資料を入れたビジネスバックなどは中身をこまめに検査され,カメラ類の撮影機材はもちろん,バック類の持ち込みも一切ダメであり,手荷物カウンターに預けるように指導された.女性の小ぶりのハンドバックに限り持ち込みが許可された.さらに講演者がプレゼンテーションに使用するラップトップ・コンピュータの持ち込みに至っては,正面脇の専用通用口にて,持ち込み理由の諮問,動作チェック,入退場記録簿への記帳などが課せられた.これも,国際テロの防止,インド・パキスタン両国間の緊張のあおりと諦めることにした. しかし,厳しいチェック後の会場内は,著者にとっては7年振りの再訪であり,場内の随所に大変懐かしい思い出を見つけた.(写真1参照) 日本からの参加者総数は,24名(論文投稿件数は16件)であった.図1に第1回大会から第4回大会までの情況推移を示す.図1より,今大会の参加者総数(9/9および11に開催されたLux Pacifica Meeting報告による)が,500名と突出しているのは,81企業および団体が出展参加し,大盛況であった併設「国際照明展示会International Lighting Exhibition, Lii 2002 at Pragati Maidan New Delhi:9/6~9」からの集客効果によるものである.反面,論文発表総件数が73件と低迷したのは,初夏を迎える頃に再燃した「インド・パキスタン紛争」の影響である.今大会の直接的な大会運営にあたったインド照明技術者協会より,当初の応募件数から約50件におよぶ発表辞退があったとの報告を受けている. |
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図1 各大会別状況推移 |
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反面,図2から明らかなように,環太平洋照明会議の加盟国であるタイ王国,および香港(副議長就任)からの論文エントリーと参加者が皆無であったこと,国際組織委員の派遣が無かったことが国際組織委員会で問題視され,今後CIEなどの関係組織を介して改善を求めることとなった. 朝食時には,各自が得た市内散策成果などの情報交換をして,お互いに親睦を深めた. 図3にわが国から参加した24名の方々の所属別分類を示す.図3からも明らかなように,13名(54%)の方々が大学関係者(その内訳は,教員8名,大学院生5名)で,次いで3名(13%)の方が民間企業(技術者2名,照明デザイナー1名),2名(8%)の方が学協会関係者の順に続き,最後に同伴者が6名(25%)である.男女比は,男性17名(71%),女性7名(29%)である.また,比較的若手の研究者らの参加が多かったように感じた.海外で開催される国際会議に,指導教官が同行せずに大学院生らが単独で挑んでいる姿には,「時代が変わったものだ…」と驚かされた. |
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図3 わが国からの参加者数と所属別分類 |
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表2に3日間におよんだ大会プログラムの概要を,表3および図4に大会トピックスとその論文発表件数をそれぞれ示す. | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
表2 大会プログラムの概要 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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表3 大会トピックス(分野別分類)の比較 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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図4 大会トピックス(分野別分野)の論文発表件数 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
開会式典は,大会初日(9/9)の午前9時から約2時間にわたり国際会議場「ヴィギャン・バーワン(Vigyan Bhavan)」の大ホールにて開催された.壇上には,Julian議長,Hari S. Mamak大会実行委員長,Pranab K. Bandyopadhyayインド照明技術者協会長(インド),Hans A. LöfbergCIE会長(スウェーデン),Jewell初代議長,来賓,各国々際組織委員らが整然と着座し,大会宣言(開会の挨拶),来賓からの祝辞などが次々に述べられた.参列者の人数の割には,大ホールのキャパシティーが圧倒的に大きく,空席が多々目立ち何となく物寂しさを感じる一面もあった.(写真1参照) 開会式後の大会プログラムの特徴は,表2からも明らかなように,大会の中日(9/10)に基調講演(LED照明),基調講演に関連する特別セッション,招待講演が,別途に設けられたこと,照明の実際に関する4テーマのワークショップ(Workshop1:オフィス照明,Workshop2:もてなしの照明,Workshop3:小売店舗ディスプレイ照明,Workshop4:公共施設照明)が設けられたことである. また,一般講演のトピックスについても,表3から明らかなように,(1)太陽光利用,(2)自然エネルギー利用,(3)僻地における照明,(4)都市景観照明,(5)特殊環境の照明,(6)省エネルギー,(7)照明教育,(8)照明と健康,(9)視覚・色彩,(10)照明におけるエレクトロニクス,(11)LED照明,(12)採光設計,(13)測光,(14)公共照明,(15)光害,(16)環境汚染,(17)照明設計&ソフトウェア,(18)照明心理,(19)屋内照明,と,過去の大会に比べ多岐にわたっているのが特長である. これら多岐にわたったトピックス別の論文発表件数は,図4から明らかなように概ね平均化していることが分る.加えて,わが国からの参加者も多岐にわたったトピックスに適度に分散しており,各々の成果発表,討論,技術などの情報交換を各分野の専門家らとジックリと執り行え,今大会に参加した成果は大きいものと推察する. ポスターセッションについては,その半数以上が日本の発表であり,チョッピリ国際性に欠けた一面も伺わせたが,多くの方々がポスター会場に足を運んでくれ,白熱した質疑応答が行われていた.(写真1参照) なお,わが国からの講演論文(16件)の各抄訳は,照明学会誌(2003年4月号以降)の文献紹介の頁に順次掲載される予定であるので,参照されたい. 大会3日目(9/11)の午後に閉会式典が挙行された.夕刻に公式晩餐会を控えているせいか,同伴者(女性陣)の大半がドレスアップのため会場から姿を消していた.それゆえに参列者が比較的少ないようにも思え,一丸となって閉会式に望んだ日本人らが目だって見えた. 閉会式典では,一連の大会概況報告,閉会の挨拶に加え,インド照明技術者協会とオーストラリア・ニュージーランド照明学会の交流協定の調印式が行われた.そして「終わった」と言う安堵感が身体全体から湧き出して来るのを感じた. 大会実行委員長であるMamak氏は,終始,公式晩餐会の趣向を凝らしたプログラムの内容を明かさなかった. 公式晩餐会は,20時から国営ホテル「アショカ:Ashok Hotel」のバンケット・ホールで行われた. このホテルは,1995年のCIE・インド大会の際に著者が宿泊した宿であり,またも懐かしい思いをした. 送迎用の無料シャトルバスは,なぜかアショカホテルの敷地内には入らず,同ホテル沿の路肩で停まり,われわれを降ろした.既に到着している諸外国の面々が暗くなった歩道上に集まっていた. 訳が分らずしばらくそのまま雑談をして待っていると,何やら前方で強烈な打楽器の音と民族衣装をまとった大勢の男女らによるサンバに似た踊りが始まった.また,綺麗にペイントされた2頭の象が,象使いに先導されそばにやって来た. 大会実行委員長であるMamak氏がやっと姿を現し,「インド伝統の結婚式が晩餐会場で開かれるので,皆さんはその儀式に参列して欲しい,この踊り手らと一緒に踊り,行列に付いて来て下さい.」と大声で叫んだ.象使いが,怖くないから写真を撮れと言うので,恐る恐る写真を撮った.象の耳たぶが暖かかったのが印象的であった. 20分から30分ほど強烈な打楽器と踊りの輪と共に行進していると,アショカホテルのバンケット・ホールの入り口に到着した.踊りもクライマックスに入り,開放的な外国人らに混じって何と日本人の女性も踊っているのに吃驚した. バンケット・ホールに入るとウェルカムドリンクが振舞われ,しばらく待っていると新郎新婦が登場し,結婚の儀がスタートした.Julian議長ご夫妻が仲人役として祭壇に上がった.儀式が終わると美しいインド娘らの踊り,音楽に溢れる祝宴のスタートとなり,会場内の参列者が一丸となった盛り上がりがそのまま晩餐会の雰囲気となり,中々洒落た演出と感心した.22時を過ぎた頃に流れ解散となり,ほどよい疲れを土産にホテルに戻った.(写真1参照) |
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