Lux Pacifica2002・New Delhi大会報告
専門会員 山家哲雄 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1.はじめに |
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2002年9月9日から11日までの3日間,インドの首都であるデリー市の新市街中心地区・ニューデリーに位置する国際会議場「ヴィギャン・バーワン(Vigyan Bhavan)」にて,CIE副会長を務めるHari S. Mamak氏(インド)が中心となりインド照明技術者協会の運営により,第4回環太平洋照明会議「ルクスパシフィカ2002ニューデリー大会(Lux Pacifica2002・New Delhi)」が開催され,延べ500名にもおよぶ参加者を得て成功裏に終えた. 本稿は,照明に関する比較的新しい国際会議の一つである「環太平洋照明会議(Lux Pacifica)」の主旨(目的),内容,活動状況,およびわが国の対応状況などの紹介も交え,第4回環太平洋照明会議「ルクスパシフィカ2002ニューデリー大会」の概要を報告する. |
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2.開催までの経過報告 |
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近年の国際情勢によれば,環太平洋地域の政治・経済,産業,学術・技術研究などの国際的重要性がますます高くなっている.これらの背景のもと,太平洋沿岸の国々に属する照明分野の研究者,技術者,照明デザイナーらの多くは,歴史のあるCIE大会やヨーロッパ照明会議(Lux Europa)とは別に,環太平洋地域における独自の国際照明会議の運営と開催を待ち望んでいた. 1985年のCIE中間総会および同時期に開催されたヨーロッパ照明会議(Lux Europa)に参加した,アメリカ,日本,オーストラリアなどの太平洋沿岸諸国のメンバーらによって「環太平洋照明会議(Lux Pacifica)」の運営と開催構想が検討され,その約4年後の1989年の春に,J.E. Jewell氏(北米)を中心とする方々のご尽力により,記念すべき第1回環太平洋照明会議「ルクスパシフィカ上海大会(Lux Pacifica '89)」が産声を上げるに至った. この「環太平洋照明会議(Lux Pacifica)」は,太平洋沿岸の国々における照明関連の研究者,技術者,および照明デザイナーらが4年に一度,一堂に会して,各々が携わった照明研究,照明デザインなどの成果発表,討論,技術情報の交換および国際交流の場として,参加者がお互いに啓発し合い,各国の照明技術の発展と向上を目指すことを目的とした国際会議である. 初代議長には,本会議の創設に携わったJewell氏が就任し,オーストラリア・ニュージーランド照明学会,タイ照明学会,中国照明学会,北米照明学会,香港照明学会,ロシア照明学会,およびわが国の(社)照明学会からの各国代表委員らにより組織される「ルクスパシフィカ国際組織委員会」が,その企画および準備に協力し,開催国の学協会が持ち回りで直接的な運営にあたっている. その第1回大会が,先に紹介の通り1989年4月に中華人民共和国の上海市で開催されたのを皮切りに,その後,第2回大会が1993年11月にタイ王国のバンコク市で,そして第3回大会が1997年10月にわが国の名古屋市・名古屋国際会議場で精力的に開催された. 第3回大会を成功裏に終えた時点で,初代議長Jewell氏が議長を退任し,次期議長にWarren G. Julian氏(オーストラリア)が就任した.また,新たに副議長を設け,Lily P.C. Chang(香港)女史がその初代副議長に就任した.表1にLux Pacifica国際組織委員会(2002年度)を示す. |
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表1 Lux Pacifica国際組織委員会(2002年度 New Delhi 大会) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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さて,本稿で紹介する第4回環太平洋照明会議は,第3回大会会期中に開催された国際組織委員会の議を経て,当初,北米照明学会が受け皿となり,2001年にカナダ・バンクーバー市で開催されることになっていた.しかし,開催を目前に控えた2000年になって北米照明学会が諸般の事情により開催を辞退するに至り,第4回大会の開催が暗礁に乗り上げた. そこで,二代目議長となったJulian議長は,2001年6月にアイスランド共和国のレイキャビク市で開催された「ヨーロッパ照明会議(Lux Europa2001)」の会期中に,新たに「第1回準備会合」を召集し,インドの環太平洋照明会議への加盟同意,ならびに第4回大会を同国の首都デリー市のニューデリー地区で開催に向けて諸準備を再スタートした. その後は,CIE中間会議(トルコ共和国・イスタンブール市,2001年9月)の会期中に「第1回ルクスパシフィカ国際組織委員会」を召集し,論文応募,大会プログラムの大枠,基調講演などの諸準備を執り進めた.また,国際夜景照明会議(中華人民共和国・上海市,2001年11月)の会期中にも,「第2回準備会合」を召集し,大会の諸準備を精力的に執り進めた.そして,投稿論文が集まる2002年4月に開催地(インド・デリー市)で「第2回ルクスパシフィカ国際組織委員会」が召集され,大会プログラム最終調整および各国からの論文投稿状況の把握と調整がはかられた.この間,わが国でも「ルクスパシフィカ委員会/委員長:中村芳樹(東京工業大学)先生」が,投稿論文数の拡充,参加者らの渡航の便をはかった「(社)照明学会・オフィシャルツアー Lux Pacifica2002インドツアー(9日間)」を企画し,参加者の増員に努めた. しかし,かねてから燻っていた「インド・パキスタン紛争」が,2001年の5月下旬に一気に再燃した.日本の外務省も,同省のホームページ上で国・地域別海外安全に関する渡航関連情報として「渡航の延期をおすすめします」を配信し,インドへの旅行者らに渡航注意を喚起した.これを受けて「(社)照明学会・オフィシャルツアー Lux Pacifica2002インドツアー(9日間)」の計画が中止となり,同大会に参加する者は個人の責任で参加することとなった.必然的に,第4回環太平洋照明会議「ルクスパシフィカ2002ニューデリー大会(Lux Pacifica2002・New Delhi)」への参加を辞退する申し出が相次いだ. その後,諸外国外交の努力により,戦争勃発への展開には至らず,7月下旬を迎えて外務省の海外渡航情報も,やっと「渡航の是非を検討して下さい」と危険度レベルが1ランク下がった.これを受けて,8月初旬に(社)照明学会から「GOサイン」を得て,9月8日の14時10分にわれわれを乗せたJL471便は,第4回環太平洋照明会議「ルクスパシフィカ2002ニューデリー大会」開催地の空の玄関,インディラ・ガンジー国際空港に向けて,大きな翼を広げて新東京国際空港(成田)を飛び立った.今にして思えば,まさに間一髪という状況であった. |
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